※この記事は本当に私個人の過去の黒歴史を暴露するだけの記事です。もしかしたらすぐ消すかもしれません。
木村花さんの訃報を見て、思い出した事がありました。
私はテラスハウスは観ていないし、プロレスも全く分からないので、木村さんのことも存じ上げませんでした。訃報で初めてお名前を知りました。
なので、故人のことについては触れません。
故人が心無い誹謗中傷を沢山受けていたというニュースを受けて、沢山の著名人がコメントしていますが…
それにまつわる話として、自分が中学一年のときの黒歴史を書き記そうと思います。
私は中学受験の末、中高一貫の某女子校に入学しました。
まあまあネームバリューもある有名な学校で、私は正直栄光を勝ち取った気分というか…まあそれなりに希望を持って入学したんですよね。
(下手に書くと出自がバレかねないのでこのくらいにしとく。)
なんだけど、私はうまくクラスに馴染むことができなくて、孤立しました。
何が原因だったのか、正確には今でも分からないけど、
些細なきっかけで人間関係にひびが入るなんてよくあることだし、元々一匹狼気質だし、友達がいない事はまあ別にどうってことなかったんだよね。
自分が人から好かれる性格じゃないのは重々自覚してるし、当時の私は今よりずっと捻くれてたし、当時はそんな言葉なかったけど「陰キャの筆頭」みたいな存在だったのは認める。
しかし、されたことは正直意味が分からなかった。
望んでもいない学級委員を押し付けられ、
もちろん学級崩壊していたので、委員としての指示は悉く無視をされ、
なんでかよく分からないけどわざと聞こえよがしの陰口を叩かれたり、
今すぐ学校を辞めたいと毎日毎日思っていた。
救いだったのは部活で、
毎日休み時間のチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出して音楽室に行って練習してた。
※吹奏楽部でした
打楽器を触っている時だけが、心が休まる時間だったな。
その部活もしんどくて辛いことだらけだったけど。
ていうか、その陰口叩いてた中心人物、同じ部活だったんだよね。途中でやめてくれたけど。
少なくともその時は、私の生命線でした。
よく不登校にならなかったな、と自分でも思う。
なんでこいつらのせいで私の人生に傷つけなきゃいけないんだ、休んだら負けだ、一日も休まず闘いきってやる、って気持ちだったんだろうな。
あとは、無駄に強い責任感のせいで、「学級委員が学校に来ないなんて駄目だ…」っていう意識は持ってた。
そして見事一日も休まずクラス替えの日を迎え、
皆が「寂しい〜」とか言ってる中、私は一人で「今日はお祝いだ!!!やった!!!」と思ってました。
それから先の五年間もまあ色んなことがあったけれど、そこまで強烈な何かはないです。
プチ波乱はあったけど、無事クラスの隅っこで皆から忘れられる程度の陰キャとして、それなりの生活を過ごしました。
卒業して大学を経て社会人になった今でも、中学高校の六年間はいい思い出かというと微妙です。
というかあまり思い出したくない出来事のようで、ほぼ忘れてしまいました。トラウマレベルにならずに忘れられてよかった。
その昔、私は曲を作ったり創作したりするのが好きで、よく適当な詞を書いて曲をつけてました。発表できる代物ではないのでしませんが。
先程の、一番苦しかった時期に作ったとある曲があります。
その時の私の心情がリアルすぎて、大人になった今見返しても胸が苦しくなる。
その詞の中に、こんな箇所があって。
「傷つけられても泣かない
"なら平気なんだ"と思っているの?」
訃報を目にしたとき、この文章が頭に浮かびました。
この言葉を、木村さんを誹謗中傷していた匿名の人たちに聞かせたいと思う。
貴方たちの言葉が、どんな風に相手を苦しめるか想像したことはありますか。
心無い言葉のせいで、毎日を絶望しながら生きている人がいることを知っていますか。
著名人も、全然へっちゃらで受け流している人ばかりじゃないでしょう。
グサグサナイフが突き刺さった状態で、血を流していても、そんな素振りを見せずに強く気高くいる方もいるでしょう。
木村さんもそんな一人だったのではないでしょうか。
誰かを攻めるのではなく、
誰かの生命線となるような存在になれたらいいな、と思いますが、
まあただの陰キャな私には無理かな(ー ー;)
大人しく粛々と自分の人生を真面目に生きていこうと思います。
もし、この文章を、今この瞬間も他人の心無い言葉や仕打ちに苦しんでいる誰かが読んでくださったなら。
私が暗黒時代を乗り切るために、毎日自分に言い聞かせていた、先程の曲の歌詞の一節を贈ろうと思います。
「誰からも必要とされなくても
私は私が必要だから」
誰の為でもなく、自分のために生きてください。
自分が笑える方法は、きっとどこかにあるから。
最後になりましたが、木村花さんのご冥福を心よりお祈りいたします。